イズニックタイル

オスマン朝時代に建立されたモスクや宮殿に一歩入ると、壁面を覆う装飾タイルに目を奪われます。生命力に溢れる花々が、色鮮やかなままガラスの向こうで咲き続けているかの様に映り、つい手で触れたくなってしまう、そんな魅力が、イズニックタイルにはあります。

湖畔の町イズニック

装飾タイルの生産地イズニックは、アナトリア半島北西部にある、現代であれば、イスタンブルから車で2~3時間程で訪れることの出来る湖畔の町ですが、往時は駱駝で2日、更に好天を待ち海路8時間をかけて、タイルはイズニックから都へ運ばれたと言います。

山や森林に囲まれ、上質な陶土に恵まれたイズニックでは、ローマ時代には既に陶器製作が行われ、人々が日常使う赤土で作ったシンプルな陶器を生産していました。14世紀後半になると、中東市場で人気のあった中国磁器の色彩やデザインを取り入れて、白地にコバルトブルーで絵付けした陶器を作る様になります。加えて、優れたイランの陶工達が移り住むと飛躍的に技術が発展、15世紀、イズニックは陶製品の生産地として急成長してゆきます。 

イズニックタイル

16世紀にはいると、オスマン帝国はバルカン諸国、アラビア半島、イランと北アフリカの一部を含む広大な領土を征服し、モスクを中心とする宗教複合施設や宮殿、邸宅、図書館等を次々と建設してゆきます。こうして、オスマン建築における重要な装飾要素であったタイルへの需要が急激に高まり、宮廷工房と連携して、陶製品産地イズニックへタイル生産の注文が開始されることになったのです。

イズニックで描かれた初期のタイルは、石英を主原料にした素地に白化粧土を掛け、コバルトブルーで彩色したもので、デザインも色も中国磁器の影響が見られるものでした。

最盛期を迎え生産量が頂点に達した16世紀半ばには、デザイン、色彩共にオスマン朝独自の様式が発展します。チューリップやカーネーション、ヒヤシンスや薔薇など半様式化した花々が生き生きと描かれ、トマト赤  と呼ばれる ぷっくりと盛り上がった赤、緑、コバルトブルー、ターコイズブルーを使った鮮やかな多彩色下絵付けを主流として、帝国が栄華を極めた17世紀にかけて、イズニックタイルは卓越した品質と技巧、その美しさを開花させ続けます。


しかし、17世紀の中頃には、オスマン帝国の衰退と共に、イズニックタイルの品質は低下し始めます。デザインは単調に繰り返され、輝きのあった色は艶やかさを失い、トマト赤は鈍い茶がかった色へと変わってしまいました。品質が劣化するにつれ、イズニックへの注文も減少してゆき、18世紀に入ると、とうとう、イズニックの工房は姿を消してしまったのでした。